先日から、ミーアの粗相に対して、あまり神経質ではなくなった。
(それまでも十分鍛えられて、神経太くなっていたんだけどね)
その日は、会社から帰って、玄関にまたおしっこを発見。
仕事のストレスが溜まっていたのも手伝って、イライラが爆発した。
玄関にお出迎えに来てくれたミーアを捕まえて、
おしっこのところに連れて行き、
顔を近づけさせて、「なんでこんなことするの!ここでしちゃだめでしょう?」と叱った。
ミーアは足をふんばって、イヤイヤをするようにジタバタともがいた。
そして、「ふにゃ~」と情けない声で鳴いた。
どうやら、ここでおしっこをしてはいけないことは分かっているようだ。
その証拠に、試しに何もない床に同じように顔を近づけさせても、ジタバタしなかったから。
かわいそうになって、手を放したら、
ミーアは最初は逃げたが、しばらくしてまた自分からスリスリ寄ってきて甘えた。
すごくジーーンときた。
「ミーア、さっきは怒ってごめんね。
こわいママになっちゃっても、ミーアは甘えてくれるの?」
考えてみれば、ミーアだってどうしようもないのかもしれない。
いけないこととは分かっていても、本能に従うしかないのだから。
オスネコが縄張りを主張するためのマーキング行為、知識として知っていたけれど、
本当には理解していなかった。
でも、それはお腹が空いてご飯が食べたくなるのと同じ自然なこと、
特に去勢を選ばなかった私に、ミーアを責める権利はまったくなかったはずだ。
それによくお留守番させられたら、人間だってムシャクシャするでしょう。
それを突然怒り出すなんて、なんて理不尽な。
なのにミーアはすぐに私を許し、甘えてくれた。実は私よりもミーアの方が愛情深いのではないか?
そう考えた瞬間から、諦めとは違う、理解とも違う、寛容的な気持ちになった。
ミーアのことを本当にすべて受け入れるようになった。(と思う。)
なんのことはない。人間側がもう少し我慢すればいいだけ。
されたら困るものはしまうーーーー整理整頓はいい習慣だ。
されたら困るところはこまめに閉める、カバーをするーーーーこれはもっと彼に協力してほしい。
玄関ならされてもたいしたことないから、発散の場として提供するーーーーあとで拭けばいいんだから。
どうしてもされたしまった場合、洗えるものは洗って、修復不可能のものは買い換える。
だってミーアは世界でかけがえのないただ一つの存在、物の方が大事なはずはないものね。